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☆1:はじめに【 東洋醫学(漢方)の位置 】
世界の医学の源流【主流】は三源流でキーワード 【医学の三源流】この3つは伝統医学とも呼ばれ、主にその民俗の民間療法の主軸となっている。
- 7世紀にギリシアからアラブに引き継がれた【アラビア医学】( 西洋医学の基礎 )
- 中国医学の【 漢 方 】
- インドを源流とする【アーユル・ヴェーダ医学大系】と理解しておけば間違いはない。
というものも存在するようだが、三源流からはずれ、文献も集まりにくかった為に今回は省略した。いずれ文献を集めて論じてみようと思う。
- エジプト・メソポタミアに発する「コスモポリタン医学」
江戸時代に医学大系の呼称は、西洋医学を「蘭方」日本古来の医学を「和方」中国医学を「漢方」と呼んだ。漢方とは中国古来の医学理論にて、主に生薬を用いる医学が「漢方」であると考えれば間違いない。現在の医学教育は、ほぼ蘭方醫を作る方針らしく、教育機関では漢方の原典やアーユル・ヴェーダ医学大系は教えない。興味のある医者が独自で学ぶ、あるいは民間療法として、種々の施設で施行され、西洋医学がお医者、東洋医学を含めアーユル・ヴェーダ等は民間療法と位置ずけられて発展してきているのが、日本の現状。本稿では神農を中心に各医学大系の古来(古典)の部分を調査し、記載した。歴史的にいえば各文化での医学的な大系が完成しつつある過程の創世記を記載したつもりである。歴史に詳しい諸先輩から、内容の不備の点や誤認、誤記などをご指摘戴ければ幸いである。
☆2:【 神農(しんのう)と漢方 】
古代中国の伝承では「漢方」の発見者を
伝説の人物、神農【しんのう】と呼称す
またの名を「炎帝(えんてい)」と言う
太陽神、農業神、牛頭人体の容姿である
余談だがこの神農に、人類の祖先である
「伏犠(ふっき)」と 人間の陰と陽
(性器)をつくったとされている「黄帝
(こうてい )」 三人を三皇という。
神農は牛-人間であり、伏犠は下半身が蛇
という人間-蛇である。 まともな人体を
しているのは黄帝だけというのが、古代
中国の伝承の統括者像である。
ここに掲載した神農像は洋彰庵蔵書、神農五千年より抜粋掲載
原版は【 新発田藩 第十代当主 :直諒公筆 :神農図 】さて、蛇足ではあるが、神農を知る前に太陽神について記載しておこう。古今東西、太陽神は神々の中心であることに異論はないと思う。キーワード 【神農の知識を】人も偉くなると自分を神様並に扱って欲しいと思うようになるらしく、天武天皇やルイ14世なども「太陽の王」などと自称していたらしい。この太陽、古代においては「月との対称性」や「周期性」「明るさ」何ぞから「統一」だの 「神性」などの象徴に使われ、錬金術では「黄金」や「硫黄」などの象徴となっている。錬金術は中世の化学の最先端であったが、今と同様に「硫黄」を表すのにSの文字を使っている。これは「太陽」を表す。これとともに太陽系惑星の各々に、化学記号と同じ文字が使われている。何やら「太陽」についての記述が長くなったので、話を「神農」に戻そう。これ以上の太陽の記載については惑星の記載、ほしに学ぶ(まほろば)を参照されたし。
- 日本の「アマテラスオオミカミ」
- ヘリオポスの神「ラー(アテン)」
- バビロニアのシャマシュ神
- ゾロアスター教の最高神「アフラ・マズダ」
- ミトラス教の主神「ミトラス」マヤ文化圏の太陽神、
- ギリシア神話の「ヘリオス」
- インドの「スーリヤ」 などが太陽神として崇拝されている。
「神農は太陽神である」とされ始めたのは漢以降の時代である。この神農が産まれ出ると、周辺に九つの泉が湧き出て汲めども汲めども尽き果てなかったとか、異常な速度で成長し十尺の巨人となったとか、雨を操る能力があったとか、ほぼ後世人がでっち上げたかのような神様である。 神農は、全ての薬草を自ら毒味してみた、という実践主義の研究家であったという。こうして365種類の漢方を発見し、『神農本草』という本をまとめたのであるが、これは度重なる戦火の内に失われる。
この断片を所持していた、陶弘景(とうこうけい)という人が『神農本草経』という本にまとめ、今日の漢方の基本 ともなる『本草綱目』が編纂されたのである。「本草」の大本が『神農本草』で、この中には「神農が試した365種類の薬草の効能」が記載されており、薬草は上・中・下(品)の3種の品目に分類され、当時の最先端医書(薬物学)であったことは間違いない。
神農は他にも占いでお馴染みの「八卦」等も作ったが、最後に薬草毒味にて猛毒に当たり、命を落とす。この時、神農の腸が切れていたため、その毒草は「断腸草」とも呼ばれるようになった。藤に似た黄色い可憐な花を咲かせる(コウフン)というフジウツギ科の猛毒のある植物である。和名つたうるし
☆3:【 神農以降の漢方 】
神農以降の漢方の流れは、2つの流派に分かれたとされる。北方領域民族による「鍼灸医学」と南方領域民族による「湯液医学」である。つまり、動植物の豊富な中国南方領域ではこれを医薬材料とした漢方製剤医学、材料に乏しい北方では鍼灸による物療医療になったとされている。キーワード 【神農以降の漢方知識を】
ここから先はweb上に 鍼灸のノウハウ「鍼灸医学」や傷寒論「漢方の原典」の記載が有ると思われるので、洋彰庵は中国醫学の源流 神農までを調べ、web上にupした。
キーワード 【漢方雑観】☆4:【 漢方雑感附記 】
附記1:(what's 本草 本草家) 漢方ではこの「動植物由来の薬剤」を「本草」という。「本草」の名が示す通り、原材料を植物に由来するものが多いが、広い意味では「植物・動物・鉱物・虫類・魚類・爬虫類」などの森羅万象のものを対象とする言葉である。
「本草家」とは、現代でいう「博物学者」的意味である。江戸時代の貝原益軒(日本の教育学や本格的博物学の草分け)や永富独嘯庵(江戸末期の漢方家), 平賀源内(エレキテルや火浣布の製作で有名)、洋彰庵の尊敬する明治時代の南方熊楠、などが、【日本を代表する本草家でありましょう。】[ これは完全に私見です =(@_@)= ]
附記2:(what's 東洋醫学概念) 東洋醫学の基礎概念
西洋医学は人体を細分化し、個々の臓器の研究で発達したのとは全く逆に、人体を自然の一部として包括することから成り立っているようだ。人間一個体がひとつの小宇宙である。その中での調和が健康ということであり、そのバランスが崩れた状態が病気。この歪みを直すということが治療になるわけだ。
その大宇宙の法則として「陰陽五行説」などがあり、これは万物の生成、存在にかかわる原則であって、これをそのまま人体にも当てはめて考える。必要不可欠な大原則ですが、またこれにしばられてもいけないのです。宇宙そして人間は不可思議なもの、ひとつの理論で説明などできるはずがない。 迷ったら個々の臓器の研究から、陰陽五行説などから、両方のアプローチで自分の健康管理をすることが大切なのでは? 【これも大方 私見です=(@_@)=】
附記3:(what's 中醫学の原点) 中国医学の原点には「不老不死」の思想があり、その根底には「滅びやすい肉体」と「永遠不滅の魂」の思想がある。中国では、人間が死後「あの世」で再生するためには「現世での肉体の完全性」が要求されるとされている。『孝経』にある有名な「身体髪膚これを父母に受く。あえて毀傷せざるは孝の始めなり。」や『呂氏春秋』の「身は父母の残した体だから行動を慎むべきである。」といった言葉も、この「あの世」での再生のための現世行動規範であり、そのための「予防医学・修正医学」的な発展を遂げたのが中国医学であると思える。益軒翁養生訓の総論の始まりもこの引用
附記4:(what's 鍼灸の原点) 本草(医薬材料)の乏しい北方領域民族は、物理療法としての鍼灸医学を発達させた。(ツボ)とそれをつなぐ経脈を循環する「気」の流れを正常化することによる医療大系「経脈説」を編纂。 これは、人体の「気の流動」が乱れた状態を「病気」とし、それを正常化することにより生理機能を復旧させる、というものである。この考えは、インド医学である「アーユルヴェーダ」ともつながる考え方である。
附記5:(what's 観察の原点) 中医学も「人間の身体を循環する液体が人体の主なる構成成分である」という基本的な考えがあるようだ。昔の人は人体から体液(主に血液)が流れだして死に至ることを観察し、「体液こそが生命の源」と考え、同時に心臓の鼓動とともに脈を打つことから「循環している状態こそが生命維持に大切」と喝破したのであろう。そこで「気」「血」「津液=唾液」という三つの要素が考えられた。
洋の東西を問わず、このような考えに行き着くようで、西洋医祖ヒポクラテスも「血液・胆汁・黒胆汁・粘液」の四体液が身体を循環し、人間の気質を作っていると論じ、近世までそれが信じられていた。この四体液説では黒胆汁が優勢な人間は「憂鬱で陰気」とされ、その「黒胆汁質(Melancholic) 」が語源となって「メランコリー(憂鬱、医学用語では鬱病)」となった。これ本当
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