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【典座教訓 12の4章】

12:入宋後「留学中の体験談」


12-1:老典座との出会い1
他は是れ吾にあらず「かれはこれ われにあらず」
道元が中国の天童山に滞在修行していた時、用(ゆう)典座に “今をはずして一体いずれの時を待つのか”と言われた時、道元の心に 「今ここ」がハッキリと芽生えた。とされています。道元のような高貴な エリートには、二人の老典座との出会いによる「開眼」が必要だったのでしょう。

以降 この章では体験談の為、道元をリアルな文章にして「私」と記載しました。

老典座がかんかん照りの太陽の下で
一心不乱に仏殿の前で海藻を干していた。

私は
  どうしてそんなお年で、下役や雇い人を使って
        やらせないのですか?と尋ねた。

用典座は
 「他人はした事は私のしたことではない」と言った。

私は
 「ご老僧よ、たしかにおっしゃるとうりだが
  太陽がこんなに熱いのに強いて今なさるのですか?」
と尋ねた。

用典座は
 「海藻を干すのに最適な今この時間帯を外して、
   いったい いつ行うのですか?」と答えた。

私はもう質問することが出来なかった。
廊下を歩きながら典座職がいかに大切な仕事かを肝に銘じた。

附記 道元は、中国へ上陸する直前の船中でも老典座との衝撃的な出会い を経験しています。 これは有名な話しですよね。 次の章に出てきます。


12-2:老典座との出会い2
文字とは?弁道とは?

中国に上陸する前、私達の船に、一人の老典座が日本産の食料品を買いにやって来た。 私は彼をお茶に招待しお話を伺うと、それは阿育王山(広利寺)の典座であった。

私はこの老典座からさらにお話を聞きたかったので、船に一泊するように勧めてみたが、 老典座は「買い物もしたし、寺に帰って翌日の料理に備えなければいけない」と言う。

私はだれか代わりの人もいるだろうし、それに高齢になっているのに、 どうして典座などをし、なぜ坐禅や看読に専念しないのかを尋ねた。

すると老典座は、大笑いし
 「外国から来られた若い方よ! あなたはまだ弁道修行ということ
    を了解会得しておらず、また文字というものも未だ
   知り得ていないようだ」  と答えられた。

私は恥じ入るとともに、深く感じるところがあって、
     「文字とはいかなるものですか、
  弁道とはいかなるものですか」 と その老典座に質問した。

老典座の答はこうであった
「今あなたが質問された処を、もしも見過ごすことが無ければ、
    今ここ文字・今ここ弁道に落着するのであれば、
      まさに文字の知得者であり弁道の了得者ですよ」

私はその当時、老典座が言っていることが理解できなかった(不会)

老典座はさらに言う。
「もし未だ了解会得できないなら、いつか阿育王山に到来しなさい。
一度文字の道理について話し合いをしましょう」。

このように話り終えるや、座を立ち「日も暮れてしまった、急いで帰ろう」。 そうして帰り去ってしまった。



ここに出てくる老典座との出逢いが、道元にとって真の禅との出会いの記念すべき第一歩 になったと思われます。

禅の修行を【坐禅弁道したり、古人の仏道修行に関する話を読んだりすること】 と思っていた道元に対して、

老典座は“あなたは未だ弁道ということを了解会得しておらず、 また文字というものも未だ知り得ていないようだ。”と遠慮無く指摘します。

おそらく若き道元は赤面したことでしょう。ここで口論したり無視したりでもしたら それこそ今後の修行にさしさわりがあったでしょうが、道元の器量はその程度では ありませんでした。すかさず“文字とはいかなるものですか、弁道とはいかなるものですか?” と老典座に教えを請うたのです。

このような「聴く耳(聞法)」を持っている人は、 その道で大成するものです。 相手のほうが上なのに反論したり、自分は知らないのに 知ったかぶり態度(=心)を取る人は、その道において大成することはありません。

洋彰庵 利吉 典座教訓の中でこの12の「老典座との出逢いで道元が開眼した」 というお話しが最も好きなもので、なるべく多くをここに記しました。


12-3:文字・弁道の真意
この章も道元「私」と老典座の会話です。
「入宋し船から上陸した年」1223年の7月に天童山景徳寺で修行していた時、 船中で出会った老典座が面会に来てくれた。

私は喜び感激し、接待して会話をした折に、私は彼に質問した:
  「文字とはいったいどのようなものですか」

老典座は答えられた:
  「一二三四五」


さらに私は質問した:
  「弁道とはいったいどのようなものですか」

老典座は答えられた:
 「遍(あまね)くこの世界は全然何も蔵(かく)さず、
     すっかりあらわれている」

私がいささかなりとも文字の意味を知り、弁道のなんたるかを了解することができたのは、 この老典座の大恩によるところが大きい。

典座を退き郷に帰り去らんとする老典座がわざわざ道元を訪ねて来たのだから、 道元は狂喜したに違いありません。

老典座に出会う前に道元が価値を見いだしていた事のひとつは 「古人の仏道修行に関する話を読んだりすること」(看経・看読)ですが、これは 「文字」を通じての学びです。

「看読」したところを自分も実行してこそ実践ですから、‘読む’ことは 践につながらなければたいして意味がありません。知っているだけで 実践しないというのは、知らないよりも悪いのかもしれません。

「知識に価値観を置く実行を伴わないインテリ」という偽善者は、世の中にけっこう居ます。

「文字」というのは、実物に張り付けたラベル(名札)以上でも以下でもありません。

例えば「来年の新米」というラベルを田植えしても新米は稔りません。 しかし、種米を保存しておく箱に「来年の新米」というラベルを張り付けておくと、 次に田植えの時に便利ですし、ラベルを大きくして、そこに「おいしいコシヒカリ」とか 説明を書いておけば植える時の参考にはなりますが、「来年の新米でおいしいコシヒカリ」 という「説明」はいくら待っていても稔らず食べることはできません。

この説明「文字」をもとに田植えをして、丹精込めて稲を育てなければ新米は出来ません。 「文字」の持つ価値・意味を理解できたでしょうか? 「六七八九十」。・。・。・


12-4:文字の研究
文字の探究 ← 誤字ではありません。
道元は後に重顕禅師(980-1052)が頌を作って弟子の僧達に示したものと 照らし合わせ、「老典座これ真の道人」と知りました。

従来見てきた文字は一二三四五であり、今日見る文字もまた六七八九十と同じ文字 以前には文字に必要以上に価値観を置いていたものの、今では文字の限界も理解した。 修行者達よ、文字の背後に全一生命を味わう一味禅を了得しなさい。

「一味禅」の境地に達してこそ、命を育む料理番である典座も勤まる と、道元禅師は言っているのです。

重顕禅師の頌:
一字や七字や、三字や五字でものごとを言いあらわすが、 そのあらゆるものごとも本質を窮めてみれば、すべてよりどころとなるものではない。

夜も更け月はいっそうコウコウと輝き、その光は大海へと下り、 あたり一面月一色の世界となるように、 探し求めていたあの竜の顎の下のすばらしい玉も、手に入れてみれば、 そこらじゅう玉でないものは何もなくなる。

  人間は文字言葉で万象の生の実物を表現するけれど、
  それは具体的事物・事象の名前とか説明であって、
  たとえば薬と効能書との関係のようなものである。
  つまり、効能書は薬ではないし、薬が効能を持っているのである。
  どこかに竜の顎の下のすばらしい玉のような宝物があるだろうと、
  苦労して探し求めたあげくに やっとそれを入手してみたら、
  なんのことはない、どこもかしこもすばらしい玉の世界であった。





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