熊楠
をもっと知るパート3へようこそ 熊楠先生を学ぶ事を南方学とか熊楠学と 呼ぶそうです。【南方学】を定義づけるとすれば、 1:熊楠が学んだ事に追従して学ぶ事と 2:熊楠自身の事を学ぶ事、でしょうか? 従来、奇人学者として取り上げられることの 多かった熊楠先生は、実は当時の日本にあって、 力強い学問の流れを形成しようとしていた事が、 認知されるようになりました。先生は、流れゆく 殆どの情報を必要とせず、己に必要なものだけを 自身のものとし、編集し、発信をし続けたのです。 |
今世紀末、現代を熊楠翁がご覧になったら、何と言われるのか想像すると楽しいですね
また、熊楠先生は、先駆的な自然保護論者としても知られています。 彼は明治政府が
推進した神仏合祀が引き起こす鎮守の森の破壊が、 自分の研究の場を奪うだけでなく、
しいては自然林の保護問題にまで発展することを痛感していたのです。この時期の先生が
訴えたエコロジー思想は今日の自然保護の先駆となるものです。日本にエコロジーの考え
を紹介し、かつそれに基づいて実践した最初の人だったのです。産業社会が森林・川・海に
ますます重い負荷をかけつつある(今日の工業化された日本)にとって、熊楠先生の包括的
エコロジー思想は大きな示唆を秘めています。熊楠先生は,「研究は夜の方が静かでいい」
と蔵の中に入り、周囲に本を平積みにしたまま、真ん中に自分の座るスペースだけをつくり
明け方まで研究。 朝になると蔵から出て食事をとり、昼間は裸で寝ていた。この生活
パターンは、晩年最後まで崩さなかったそうです。【日本人の可能性の極限】とまで賞賛
された熊楠先生の深遠な精神のなぞ解きは、まだ始まったばかりです。熊楠先生はきっと
植物と動物双方の性質を合わせ持ち、成長発展して止むことのない 【 粘菌 】に
密教的かつ曼陀羅的な宇宙 みたいなものを読みとっていたのでしょうね。 洋彰庵